天霧(アマギリ)とは?
私達が研究している武道ー心身操法のことを「天霧」と呼んでいます。その意味は次のようなものです。
天霧(あまぎり)は心の宇宙に広がっている霧という意味ですが、特にこの宇宙が観察する側(主体)と観察される対象(客体)とに分かれる以前の心の状態のことを表しています。生まれたばかりの赤ちゃんの心と言ってもいいかもしれません。赤ちゃんは全ての可能性を持っていますが、まだ主体と客体との区別が曖昧で言葉を使うことができないので、社会的・文化的な創造(欲望の現象化)を行うことはできません。
さて、この霧が主体と客体とに分かれ、言葉が生まれ、そしてあらゆる現象が創造されることになります。その最初の状況を身近な例で見れば、赤ちゃんが物心ついてカタコトの言葉を使い始めることができるようになった状態と言えるでしょう。この時はじめて、赤ちゃんは自分(主体)とお母さん(客体)が「何だか違うもの」ということを認識します。そして言葉(この最初の段階では、泣きじゃくるとか、ショッピング・モールの床にへばり付くとかのボディー・ランゲージも含むでしょう!)を使って、自分(主体)の欲望をお母さん(客体)に伝えることになります。これが「社会的・文化的な創造」の第一歩です!
そして赤ちゃんは成長します。高度な科学的知識や技術を自在に操ることができる人、あるいは独創的なマーケッティング手法によって巨万の富を築く人、その他色々な人生を創造することになるでしょう。それは素晴らしいことです。しかし、例えばノーベル賞受賞者や日本一の大富豪が最高の幸福感を得ているかどうか、ということになると一概に「そうだ!」とは言えないのかも知れません。
最高と思える現象を実現したけれど、なぜか幸福感が伴わないという事実があるとすれば、その理由は一体何なのでしょうか。私たちは、学びと実践(この二つを合わせて「経験知識」あるいは「経験知」と呼びましょう)によってあらゆる願望を現象化させ、自らの人生を形成して行きます。その過程で、この経験知識があったからこそ今の自分がある、更には、この経験知識がなければ自分という存在はあり得ないという「思い込み」に支配されるようになります。
例えば、ある革新的な技術(これも経験知識です)によって富と名声を得た人が、ある朝突然、この技術が全て無効になってしまったと伝えられたとしましょう。富も名声も一瞬にして消えてしまうことになります。そしてこの人が、先ほどの「思い込み」、つまり「経験知識がなければ自分という存在はあり得ない」と言う思いに支配されている人であれば、自分自身を形作っている経験知識(=革新的な技術)がなくなってしまったわけですから「自分」もなくなってしまったと感じてしまうのは当然でしょう。そこに幸福感はあり得ないでしょう。
しかし、本来の自分とは主客未分化の霧のような存在だったのです。その霧が主体と客体に分離して、そこから経験知識が生み出されてきたわけです。経験知識、あるいはそれに基づく現象がなくなったとしても、大元の霧はなくなることはありません。この霧こそ自分自身なのです。