信仰を卒業する?

言霊復活という使命を成就された 島田 正路 先生の講演録を聞くのが最近の日課になっているのですが、その中で心に残ったことをお伝えして行こうと思います。今回は、「信仰を卒業する」ということについて。
1963年、当時長野在住だった島田先生が小笠原 孝次 先師を東京のご自宅に訪問、言霊学の指導をお願いした時のことです。
「どうぞ言霊の学問を教えてください」
島田先生が小笠原先師にお願いしました。すると、先師は島田先生の顔をジーっと見つめて、こう問いました。
「あなたは何か信仰をされていますか?」
「しておりません」と、島田先生。
すると先師はこうおっしゃいました。
「言霊の学問をやられるんだったら、何か信仰をされて、それを卒業してからいらしたらどうですか」
島田先生は先師の言葉の真意を測りかね問い返しました。
「信仰をやって、それを卒業するという意味が分かりかねます。信仰の卒業とはどういうことですか?」
先師は静かにこう答えました。
『信仰という言葉から下の文字「仰(ぐ)」ということがなくなってしまうことです。そうなったらいらして下さい』
「???」
『信仰の「仰」を取り除けば信だけになりますね。信は人の言葉と書きます。仰いでいるうちはそのものになり切っていないのだから、仰ぐことをおやめになれば、信そのもの、つまり人の言葉そのものということになります。そうすると言霊の学問はすぐにお分かりになります』
このやりとりの後、結局言霊学の概念的なことだけでもお教えしましょうということになり、爾来島田先生の言霊学探究が始まったとのことです。
管理人は信仰の是非を論じるつもりは全くありません。ただ、信仰のあり方に関する回答が、この短い会話の中にあるのではないかと思いました。そして、ある程度言霊学の勉強が進めばこの会話の真意がよく分かってきます。
今回は信仰を卒業するという意味についてでした。
それではまたお会いしましょう。

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